■つげ義春■
●『ある無名作家』(初出:コミックばく・1984年) |
ガロ系漫画が好きなものにとって、避けては通れない存在、それがつげ義春だと思う。多分ガロ者で、つげ義春が嫌いという人は、ほとんどいないんじゃないだろうか。ある意味、ガロ系という特殊な世界で万人受けしているとも言える。 もちろん僕も大好きなのだが、名作が多いつげ作品のなかでも、僕が最も好きな作品は、この「ある無名作家」である。 簡単にあらすじ。 主人公・安井の所へ昔の知り合いである奥田が子供を連れて訪ねてくる。 奥田は昔、生活に困窮した安井がAプロダクション(水木プロがモデル)に入った時、安井と入れ違いに辞めていった。 ただ人の絵を真似るという、表現行為とは呼べないアシスタントの仕事に疑問を持ったからだった。 |
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しかし、プロダクションを辞めた後の奥田は、生活に追い込まれていった。 ある日、安井が奥田の家を訪ねると、部屋の畳を全て売り払ってしまっていた。あまりの困窮ぶりに、安井はアシスタントをしながら描いていた自作の手伝いをさせることにする。 しかし、それが自己表現にこだわる奥田をさらに苛立たせた。 転居などもあって付き合いがなくなっていったが、しばらく振りに安井は昔の仲間と奥田を訪ねた。 奥田は、元ホステスの女と結婚し、女房をトルコで働かせて女房の連れ子と3人で暮らしていた。 表現行為もせず、女房に働かせ、毎日酒をくらって子守をするというのが、奥田の現状だった。 奥田と安井の再会はそれ以来のことだった。 近くの川辺で酒を飲んでいたが、つまみを買いに行かせた奥田の子供(女房は自分の子供を捨てて逃げた)が帰ってこない。 商店街を探し回りやっと見つけ、奥田は子供を強く強く抱きしめた。 帰りに安井は菖蒲を買い、家で子供と菖蒲湯に入りながら、むかし自分が義父に酷い仕打ちを受けたことを思い出すシーンで終わる。 この作品で印象的なのは、薄汚い蝿に憎悪を覚え、執拗に打ち殺し、蝿のいない季節でも蝿を打つ真似をするという描写。 苛立ちと不安と焦燥感が伝わってくる、素晴らしい描写だと思う。 そしてもう一つ、安井の「何よりも生活が大事・・・」という台詞と「たかが漫画なのに・・・」という台詞だ。劇画創成期のころ芸術と生活、どちらを大切にすべきなのか、というテーマがあった。この作品はその頃の事を思い出して描かれたものなのだろう。 この作品は、言ってみれば潔癖すぎる芸術至上主義で身を持ち崩した男の哀れさを第三者の視点から描いた作品といえる。 今でもそうかも知れないが、特に昔は表現行為に人生を賭して、潔癖に真摯に取り組んで、結果、生活に潰され埋もれていってしまった無名作家たちが沢山いたのではないだろうか。僕の勝手な推測だが、実はこの作品は、そんな無名作家たちの姿を奥田に集約して、作者が彼らへの愛情を込めた鎮魂歌として描いたものなのかも知れないと思う。 そしてこういった深刻なテーマを扱いながら、全く押し付けがましくない描き方をする、つげ義春の力量には本当に感服する。 |